山城守ってなあに?…続き
6/5の記事「山城守ってなあに?」で書きました、
直江兼続が山城国を治めていないのに、山城守なのは
どうして??? を解説いたします。
当時、相手のことを呼ぶときは、上の者が下の者を
呼ぶ場合も、また逆の場合でも、名字や名前を呼ぶのは
無礼とされていました。
そのため、相手を呼ぶ際は「山城守」のような官位で
呼ぶようにしていました。
さはいえ、誰でも官位を許されているわけではありませんので、
そういった場合は字(あざ)という呼称を用いていました。
織田信長でいえば、彼には信長という名前のほかに、
三郎という呼び名があります。この「三郎」が字と呼ばれるものです。
織田信長の例を続けますと、
織田…これが名字です。
信長…これが諱(いみな)とか烏帽子名(えぼしな)と
呼ばれるものです。
三郎…字。すなわち通称です。
吉法師…幼名です。成人後も呼び続けると、
ドラマの与七のように怒られてしまいます。
平…本姓と呼ばれるもので、朝廷への書状など
改まった形式で用います。
(織田の本姓は藤原が正しそうですが…)
他にも、長ったらしい戒名がありましたね。
また、信長は官位をいくつか もらっていますが、
最後の官位は右大臣(右府)です。
ただし、これは朝廷に返還してしまっています。
朝廷は、信長に「関白」「太政大臣」「征夷大将軍」のうち、
いずれか好きな官位をあげるつもりでしたが、その前に
信長は本能寺で帰らぬ人となってしまいました。
位牌には、「贈太政大臣」と書かれていたそうですが、
信長フリークの津本陽先生は、「藤原氏の末裔だから
関白になってたはず」と言っています。
(『巧妙が辻』みたいな説も好きですね。舘さんステキです
)
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